社会課題解決事業の非市場性リスク評価と戦略策定
社会課題解決事業特有のリスクへの視点
社会課題解決を目的とした新規事業開発は、従来の営利事業開発とは異なる複雑性を伴います。その一つが、市場原理や競争環境といった経済合理性だけでは捉えきれない「非市場性リスク」の存在です。これらのリスクへの適切な評価と戦略的な対応は、事業の持続可能性と社会的インパクトの最大化にとって不可欠となります。
非市場性リスクとは何か
非市場性リスクとは、事業活動が市場メカニズムの外にある要因、具体的には政治、社会、環境、文化、倫理、ステークホルダーとの関係性などによって影響を受けるリスクを指します。社会課題解決事業は、そもそも市場の失敗や社会システムの歪みにアプローチするため、必然的にこれらの非市場的領域と深く関わります。
主な非市場性リスクの種類は以下の通りです。
- ステークホルダーリスク: 事業の関係者(課題の当事者、受益者、NPO/NGO、行政、地域住民、活動家など)との関係悪化、不信、反対運動などによる事業停止・遅延リスク。
- 社会受容性リスク: 事業に対する社会全体の理解不足、偏見、倫理的な懸念、文化的な抵抗などによる受け入れ拒否リスク。
- 制度・政策リスク: 法規制の変更、新たなガイドラインの導入、補助金制度の廃止、行政の非協力などによる事業への影響リスク。
- パートナー連携リスク: 連携するNPO、行政、地域団体などとの目標の相違、コミュニケーション不全、役割分担の曖昧さ、組織文化の違いなどによる連携破綻リスク。
- 評価・コミュニケーションリスク: 事業の社会的インパクトの測定・報告方法への不信、意図しないメッセージの伝達、炎上などによるレピュテーションリスク。
- 予期せぬ社会変化リスク: 少子高齢化の加速、自然災害の多発、技術革新の進展、国際情勢の変化など、広範な社会構造の変化が事業の前提を覆すリスク。
これらのリスクは、財務諸表には現れにくく、定量的な評価が難しい場合が多いですが、ひとたび顕在化すると事業継続を困難にするほどの深刻な影響をもたらす可能性があります。
非市場性リスクの評価プロセス
非市場性リスクを評価するプロセスは、市場性リスクと同様に「識別」「分析」「評価」の段階で進めることが有効です。
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リスクの識別: 事業のバリューチェーン全体と関わる多様なステークホルダー、関連する社会・政治・文化的な背景を深く理解することから始まります。ワークショップ形式で、事業に関わる内外の専門家や当事者からの視点を集めることも有効です。例えば、「この事業が想定通りに進まなかった場合、誰が、どのように困るか?」「この事業によって、意図しない副次的な影響を受ける人はいないか?」といった問いを立て、潜在的なリスク要因を洗い出します。
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リスクの分析: 識別されたリスクについて、その「発生可能性」と「事業への影響度」を分析します。影響度は、事業の継続性、財務状況、レピュテーション、そして最も重要な社会的インパクトへの影響という多角的な視点から評価します。定性的な評価が中心となりますが、過去の類似事例や専門家の意見、当事者の声などを参考に、相対的な優先順位をつけられるように整理します。
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リスクの評価: 分析結果に基づき、対応が必要なリスクを特定し、優先順位を決定します。発生可能性と影響度をマトリクス形式で可視化するなどの手法も有効です。特に、発生可能性は低くても、発生した場合の影響度が極めて大きいリスク(例:大規模な社会運動、致命的なレピュテーション失墜)には、特別な注意が必要です。
非市場性リスクへの対応戦略
評価された非市場性リスクに対しては、その性質に応じて適切な対応戦略を組み合わせます。
- 回避 (Avoidance): リスクの高い活動や対象から距離を置く、事業計画から除外するなど、リスク要因を根本的に排除する戦略です。ただし、社会課題解決事業においては、課題そのものから回避することは目的に反するため、限定的な適用となります。
- 低減 (Mitigation): リスクの発生可能性を下げる、あるいは発生した場合の影響を小さくするための対策を講じる戦略です。
- 例:ステークホルダーエンゲージメントの強化(定期的な対話、情報開示)、合意形成プロセスの設計、倫理ガイドラインの策定、パートナーとの契約書における役割・リスク分担の明確化、第三者機関による事業評価・モニタリングの導入。
- 移転 (Transfer): リスクの一部または全部を第三者に移す戦略です。
- 例:リスク専門のコンサルタントへの委託、保険の活用(ただし、非市場性リスクに対応する保険は限定的)、共同事業においてリスク分担を明確にする。
- 受容 (Acceptance): リスクの発生可能性や影響度が低い場合、または対応コストが見合わない場合に、リスクを認識した上で特別な対策は講じない戦略です。ただし、受容する場合でも、リスク顕在化時の対応計画(コンティンジェンシープラン)を準備しておくことが望ましいです。
これらの戦略は、単独でなく複合的に実行することが一般的です。特に「低減」においては、ステークホルダーとの継続的な対話と信頼関係構築が、多くの非市場性リスクに対する最も基本的な、かつ強力な対策となります。
リスクマネジメントの実践と継続的な視点
非市場性リスクへの対応は、一度行えば終わりではありません。社会課題や関連する環境は常に変化するため、リスク評価と対応戦略も継続的に見直しが必要です。
- 体制構築: 非市場性リスクを専門的に担当する部署やチームを設けるか、既存のリスクマネジメント体制に非市場性リスクの視点を組み込むことを検討します。多様なステークホルダーの視点を取り込める外部の専門家やアドバイザーの活用も有効です。
- 継続的なモニタリング: 事業の進捗だけでなく、関連する法制度の動き、社会的な論調の変化、連携パートナーの状況などを継続的にモニタリングし、新たなリスク要因の出現や既存リスクの変化を早期に察知する仕組みを構築します。
- 変化への対応: リスクが顕在化した場合に備え、緊急時の対応計画(例:メディア対応プロトコル、ステークホルダーへの説明責任を果たす体制、事業中断時の代替策など)を策定し、関係者間で共有しておきます。
社内理解の獲得と経営層への説明
大手企業において、非市場性リスクへの対応コストや手間は、短期的には経済的なリターンに直結しないように見えることがあります。このため、社内、特に経営層からの理解と継続的な支援を得るためには、非市場性リスクへの対応が、単なるコストではなく、事業の「レジリエンス強化」「長期的なブランド価値向上」「競争優位性の確立」「新たな機会の創出」に繋がる戦略的な投資であることを明確に説明する必要があります。
例えば、適切なステークホルダーエンゲージメントは、予期せぬ事業遅延を防ぎ、事業への協力を得ることで推進力を高めます。社会受容性の向上は、新たな市場開拓や顧客獲得に繋がる可能性を秘めています。非市場性リスクへの対応は、短期的な収益目標だけでなく、企業の長期的な成長と信頼性にとって不可欠な要素であることを、具体的な事例(国内外問わず)やデータ(仮説でも良い)を用いて論理的に示すことが重要です。
まとめ
社会課題解決事業の成功には、経済的側面だけでなく、非市場的な側面におけるリスクへの感度を高め、戦略的に対応することが不可欠です。ステークホルダーとの関係性、社会受容性、制度・政策といった多様な非市場性リスクを適切に評価し、回避、低減、移転、受容といった戦略を組み合わせることで、事業の持続可能性と社会的インパクトは大きく向上します。これらのリスクマネジメントへの投資は、企業の長期的な成長と社会からの信頼獲得に繋がる重要な経営判断であるという認識を社内で共有することが、事業推進の鍵となります。