社会課題解決 ビジネス開発 当事者・現場リサーチの勘所
はじめに
大手企業の新規事業開発部門の担当者の皆様にとって、新しい事業の種を見つけ、それを具体的なビジネスとして形作るプロセスは日常業務の中心にあるかと存じます。特に近年、社会課題解決を起点とするビジネスへの関心が高まっていますが、通常の市場リサーチや顧客分析だけでは捉えきれない、社会課題ならではの複雑さや当事者の声の重要性に直面することも少なくないでしょう。
社会課題解決ビジネスの成功には、表面的な課題だけでなく、その真因や当事者の置かれた状況、感情、隠れたニーズを深く理解することが不可欠です。この理解を深めるための鍵となるのが、「当事者・現場リサーチ」です。本稿では、社会課題解決ビジネス開発における当事者・現場リサーチの重要性、具体的な手法、実践における勘所について解説いたします。
社会課題解決ビジネスにおける当事者・現場リサーチの重要性
通常のビジネスにおける市場・顧客リサーチは、主に顕在化したニーズや競合優位性の発見に焦点を当てることが多いです。しかし、社会課題は構造的な問題を含み、その影響を受ける当事者の状況は多様かつ複雑です。画一的なリサーチでは、課題の本質や当事者の真のニーズを見誤る可能性があります。
当事者・現場リサーチは、以下のような目的のために極めて重要です。
- 課題の真因理解: 表面的な現象だけでなく、なぜその課題が発生し、継続しているのかという根本原因を深く掘り下げます。当事者の語りや現場の状況から、構造的な問題や複数の要因の絡み合いが見えてきます。
- 隠れたニーズの発見: 当事者自身も気づいていない潜在的なニーズや、既存のサービスや支援では満たされていないギャップを把握します。日々の生活や業務における具体的な困りごと、感情などを共有してもらうことで明らかになります。
- ソリューションの適合性検証: 開発中のアイデアやプロトタイプが、当事者の実際の生活や現場の状況に合致するか、使いやすいか、受け入れられるかを早期に検証します。机上の空論ではなく、現場でのリアリティに基づいた改善が可能になります。
- 共創の基盤構築: 当事者や現場の関係者との間に信頼関係を構築し、事業開発のプロセスに巻き込むことで、より実効性の高い、持続可能な事業を共に作り上げる基盤となります。
当事者・現場リサーチは、単なる情報収集に留まらず、事業の根幹を成す「共感」と「理解」を深めるための実践的なアプローチと言えます。これにより、社会課題解決と経済合理性を両立する、より説得力のあるビジネスモデル設計に繋げることが可能になります。
当事者・現場リサーチの主な手法
当事者・現場リサーチには様々な手法がありますが、社会課題の性質や目的に応じて適切に組み合わせることが重要です。
1. 定性インタビュー
最も基本的な手法の一つです。社会課題の当事者(例:高齢者、障害者、特定の職業従事者、マイノリティグループなど)や、課題に関わる現場の関係者(例:NPO職員、自治体担当者、介護施設のスタッフ、学校の先生など)に対し、個人的な経験、感情、ニーズ、課題感などを深く語ってもらいます。
- 実施のポイント:
- 事前に丁寧な目的説明と同意を得る。
- オープンな質問を心がけ、相手が自由に話せる雰囲気を作る。
- 傾聴に徹し、共感を示しながら、深掘りしたい点について質問を重ねる。
- 個人的な感情や体験談に焦点を当てることで、課題の人間的な側面を理解する。
- 複数の当事者から話を聞き、多様な視点や共通のパターンを把握する。
2. 観察・フィールドワーク
当事者が課題に直面する現場や、サービスを利用する現場などを実際に訪問し、状況を観察する手法です。インタビューでは語られない、無意識の行動や現場特有の文脈を理解するのに役立ちます。
- 実施のポイント:
- 観察の目的と焦点を明確にする(例:特定の行動パターン、環境要因、関係性など)。
- 当事者の許可を得て、プライバシーに配慮しながら実施する。
- 観察した事実だけでなく、その場の雰囲気や感情なども記録する(メモ、写真、動画など)。
- 可能であれば、当事者と一緒に体験する(参加型観察)ことで、より深い洞察を得る。
3. ワークショップ・共創セッション
当事者、現場関係者、有識者、事業開発チームなどが集まり、特定の課題について共に考え、アイデアを出し合い、解決策を模索するインタラクティブな手法です。参加者間の対話を通じて、多様な視点を組み合わせ、新たな発見や合意形成を促します。
- 実施のポイント:
- 明確なテーマと進行計画を用意する。
- 参加者全員が安心して意見を出せる場を作る。
- ファシリテーションによって議論を活性化し、脱線を防ぐ。
- 具体的なツール(ポストイット、模造紙、オンラインホワイトボードなど)を活用し、思考を可視化する。
- ワークショップで生まれたアイデアや意見を、その後の事業開発にどう繋げるかを明確にする。
4. デプスリサーチ(専門家・有識者インタビュー)
社会課題領域の専門家、研究者、NPO/NGOのリーダー、行政担当者など、課題に対して深い知識や長期的な関与を持つ人々から話を聞く手法です。課題の背景、政策動向、既存の取り組み、未解決の課題など、構造的な理解を深めるのに役立ちます。
- 実施のポイント:
- インタビュー対象者の専門性や立場を事前に把握する。
- 構造的な問題、政策、データ、過去の取り組みなどについて、具体的な情報を得る質問を用意する。
- 当事者リサーチで得られたインサイトについて、専門家の意見や補足情報を求める。
当事者・現場リサーチの実践における勘所
リサーチ手法を知るだけでなく、実践においてはいくつかの重要なポイントがあります。
1. 倫理的配慮と信頼関係構築
社会課題の当事者は、困難な状況にあったり、デリケートな情報を持っていたりする場合があります。リサーチ実施にあたっては、以下の点に最大限配慮する必要があります。
- インフォームド・コンセント: リサーチの目的、内容、所要時間、情報の利用方法、プライバシー保護について、対象者が完全に理解・納得した上で、自らの意思で参加に同意することを確認します。いつでも参加を取りやめられる権利があることを伝えます。
- プライバシー保護: 収集した情報は匿名化し、個人が特定されないよう厳重に管理します。リサーチ結果を公表する場合も、個人が特定できる情報は含めません。
- 負担への配慮: 当事者の時間、労力、心理的な負担を最小限に抑えるよう配慮します。謝礼や交通費の支給なども検討します。
- 信頼関係: リサーチは一方的な情報収集ではなく、対話を通じて信頼関係を築くプロセスです。誠実さ、敬意、共感を示すことが重要です。
2. チーム内での視点共有とバイアス排除
リサーチ結果の解釈には、実施者の個人的な経験や先入観が影響する可能性があります。
- 複数名での実施: 可能であれば、複数名のチームでリサーチを実施し、それぞれが感じたことや観察したことを共有します。
- リフレクション: リサーチ後にチームで集まり、客観的に情報を整理・分析する時間を設けます。個々の解釈の違いについて議論し、多角的な視点からインサイトを抽出します。
- ファクトと解釈の分離: 記録を取る際は、観察した「事実」と、それに対する自身の「解釈」を明確に区別します。
3. インサイトの構造化と活用
収集した情報は膨大になる場合があります。効果的に活用するためには、インサイトを構造化することが必要です。
- データ整理: インタビュー記録、観察メモ、ワークショップの結果などを整理し、共通のテーマや重要な発言を抽出します。
- ペルソナ/カスタマージャーニーマップ: 当事者の典型的な姿をペルソナとして定義したり、課題に直面してから解決に至るまでの道のりをカスタマージャーニーマップとして可視化したりすることで、当事者の理解を深めます。
- 課題の構造図: 収集した情報から、課題の複数の要因や関係性を図解することで、複雑な問題を整理します。
- ビジネスアイデアへの接続: 得られたインサイトが、どのようなニーズに対応し、どのような価値を提供できるのかを具体的に検討します。既存のビジネスアセットや技術とどう組み合わせられるかを議論します。
4. 社内への共有と承認獲得
当事者・現場リサーチから得られた生の声やインサイトは、事業の必要性や方向性を社内、特に経営層に説明する上で強力な根拠となります。
- ストーリーテリング: 抽象的なデータだけでなく、リサーチで出会った特定の当事者の具体的なエピソードや写真(同意を得た上で)を交えながら、課題の深刻さや事業の社会的意義を伝えます。
- インサイトに基づいたビジネスケース: 当事者のニーズや現場の状況を踏まえた上で、提案する事業がどのように課題を解決し、社会価値と経済価値を両立するのかを論理的に説明します。リサーチ結果が、市場性や持続可能性の根拠となることを示します。
- 関係部署との連携: リサーチ結果を関係部署(マーケティング、開発、営業など)と共有し、共通の理解に基づいて事業開発を進める基盤とします。
まとめ
社会課題解決ビジネスは、単に優れた技術やビジネスモデルがあれば成功するわけではありません。課題の当事者や、課題が発生する現場のリアリティを深く理解し、彼らの視点を事業開発のプロセスに組み込むことが極めて重要です。
当事者・現場リサーチは、この深い理解を得るための実践的なアプローチであり、事業の社会的意義と経済的持続可能性を高めるための強力なツールとなります。ご紹介した手法や実践の勘所をご参考に、ぜひ貴社の新規事業開発において、当事者の声に耳を傾けるリサーチを積極的に取り入れていただければ幸いです。それが、真に社会に求められる、持続可能な社会課題解決ビジネスを生み出す第一歩となるでしょう。